扉
脳神経外科の中での専門家を目指して
白根 礼造
1
Reizo SHIRANE
1
1宮城県立こども病院脳神経外科
pp.449-450
発行日 2006年5月1日
Published Date 2006/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436100183
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東北大学から宮城県立こども病院に移って2年が過ぎようとしている.小児脳神経外科を専門とする私にとっても初めての小児病院での生活が板についてきたようで,どうにか精神的余裕を保って診療に当たれるようになってきた.
私が脳神経外科医を志したのは,脳卒中の外科が発展し始めた頃で,迷うことなく脳血管性障害グループに加わった.手術の助手と脳虚血の実験やPETによる臨床研究を行いつつも,もやもや病や小児くも膜嚢胞についての学会発表を行ったのが小児脳神経外科との出会いである.成人の脳卒中とは別の風を感じた私は,指導者である吉本高志先生に「小児脳神経外科を志したいのですが」と相談した時,「世の中は脳卒中に向かっている,今はその時ではない」と諭されたのは二十数年前でも昨日のことのように覚えている.時が過ぎて脳神経外科専門医と学位を取得した頃のある日,突然に小児脳神経外科に従事することを許された.高久 晃先生が富山に移られて以降,東北地方に小児を専門とする脳外科医がいなかったこと,松本悟先生の進言があったことが大きな理由であったと思われる.
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