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特集 脳研究のあゆみ
東京大学医学部脳研究所のあゆみ(1958〜1963)
Institute of Brain Research, Faculty of Medicine, University of Tokyo: Report, 1958 to 1963
黒川 正則
1
Masanori Kurokawa
1
1東京大学医学部脳研究所
1Institute of Brain Research, Faculty of Medicine, University of Tokyo
pp.637-656
発行日 1963年6月25日
Published Date 1963/6/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1431904043
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I.はじめに
東京大学医学部脳研究所は1936年3月16日に開設された。基金は堀越久三郎氏の寄付金によるものであり,堀越氏の申入れをうけた三宅鉱一教授(当時東大医学部精神医学教室主任)は脳研究の総合研究所を企画,推進し,その開設とともに初代所長に就任,以後1942年4月まで黎明期の脳研究所を主宰した。開設当初のいきさつや医学界における反響は小川鼎三教授の講演記録(本誌所載)905)に委細がのべられている,当時の研究部門は第1部(解剖学,病理学,生理学,生化学),第2部(脳波学),第3部(医学心理学)をもつて構成され,第1部は小川鼎三,第3部は吉益脩夫博士により主宰され着実に成果を重ねた。第2部はやや遅れて1938年以降懸田克躬博士指導下に,のちに島薗安雄博士の協力をえて本邦における臨床脳波学の発展に基礎をあたえた。
しかし開設の翌年には日中戦争が勃発し,さらに4年をへて太平洋戦争に移行するとともに,研究人員および研究室の整備はいちじるしく制限されるようになり,ことに生理学部門,生化学部門は実質的には発足するにいたらなかつた。三宅所長を継いで1942年5月以降内村祐之教授が第2代所長に就任し,戦中,戦後の困窮した社会情勢のもとに研究態勢の維持と発展に腐心した。1953年にいたつて脳研究所は東京大学医学部付属の研究施設として官制化されたが,この年以後は脳研究所発展のいわば第2段階とみてよい。
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