特集 大阪の公衆衛生活動
大阪の公衆衛生小観(1954〜1958)
朝倉 新太郎
1
,
木村 慶
1
,
清水 忠彦
1
1阪大公衆衛生学教室
pp.401-404
発行日 1958年8月15日
Published Date 1958/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401201992
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話し合いと組織化
1953年秋,日本公衆衛生学会総会が岡山で催されたときである。奇しくも同じ宿屋に泊り合わせた関(阪大)庄司(大阪市大)は学会の感想から始まつた公衆衛生のよもやま話に夜のふけるのを忘れていた。「現在の行きづまりは,わが国の社会経済事情によるところが大きいが,身近な問題としては,要するに我国の公衆衛生の歴史の浅いところにある。その解決のためには,公衆衛生のあらゆる機関,あらゆる職種の人が自由に話し合う場をつくることからはじめねばならぬ」(「公衆衛生の会」のあゆみ)かくて,関らはその後の大阪における公衆衛生のボランテイア活動に身を投じていくのである。
丁度そのころ,数年前から朝日新聞の協力をえて今村,関らの研究者を中心にして組織されていた「結核予防対策協議会」でも,より広い範囲の意見が必要だという話がもち上つており,これは上記の「自由に話し合う場」をつくる具体的な契機ともなつた。
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