忘れられない患者さんに学ぶ
重症再生不良性貧血
薗部 友良
1
1日赤医療センター小児科第3小児科部(小児保健部)
pp.867
発行日 1995年10月15日
Published Date 1995/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1414901631
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多くのことを学ばせてくれた忘れ得ぬ患者は数多くいる.その多くは「小生にもう少し力があったなら」といつも思い出す例である.今回の患者も広い意味でその中に入る.そしてこの連載のルール違反になる可能性もあるが,あえて筆を取らさせていただく.
今から14年前の1981年,小生は小児科医として,川崎病発見者の川崎富作小児科部長や坂田堯小児保健部長のもとで仕事に励んでいた.その時,6歳になる一人っ子の息子の元気が少しなくなったと家内が心配をしはじめた.一見所見がなかったが,やはり気になり血液検査をしたところ再生不良性貧血であることが判明した.治療は仕事上の関係があり,当時成分輸血の装置を持っていた数少ない病院である聖路加国際病院の西村昴三,細谷亮太先生にお願いした.入院当初は軽症と思われたが男性ホルモンにも反応せず,すぐに重症再生不良性貧血になって,感染,出血などとの厳しい闘いが本格化した.まず,ほぼ連日血小板輸血が必要になり,成分輸血のドナー探しの苦労が始まった.親戚や友人関係は言うに及ばず,最後はキリスト教関係の学校の生徒さんなどにもお願いするようになった.最終的に成分輸血のドナー数は,多分日本一と言われたくらい多人数になったが,その方々のおかげで必要時には必ずどなたかに来ていただけた.
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