臨床医の産業医活動・5
作業管理
林田 一男
1
1王子診療所
pp.757-758
発行日 1993年8月15日
Published Date 1993/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1414900938
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1964年10月東京でオリンピック大会が開催されたが,その直後から数カ月にわたって羽田国際空港で働いていたグランドサービス会社(AGS)の従業員に多数の腰痛症(約130人)が発生した.当時羽田では,国際線が週200便を超え国内線も1日40数便と発着便が大幅に増え,着陸から離陸までの時間も20~30分程度と切り詰められ,大忙しの状態であった.航空機が着くとすぐコンベアー車と荷物運搬車が横付けになり,同時に作業者が航空機の狭い荷物室にもぐりこみ,中腰で荷物を動かし早いコンベアのスピードに合わせて荷物の積み降ろしをしていた.多くの乗客に対する早いサービスが最優先されていた.特に重量物ばかり扱ったわけではないのに,腰痛症が多発したのである.
作業のスピード化だけを目的として機械を導入した人間不在の作業管理の結果である.自動化が進む機械と人間の接点ではよく注意しないと機械が主役になりかねない.かつては重い物を運搬する時,気合いもろともかつぎ上げ,それからゆっくり歩いて運び,目的場所でゆっくり降ろし,一息ついた後おもむろに次の作業に移るというように,すべて作業者主体のペースで行われていた.
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