日本泌尿器科臨床史・10
腎移植と三輪徳寛
友吉 唯夫
1
1滋賀医科大学
pp.76-77
発行日 1992年1月20日
Published Date 1992/1/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413900520
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日本での腎移植術の臨床第1例は,新潟大学泌尿器科で楠隆光教授が,昇汞中毒無尿期の30歳男子に,56歳男子の特発性腎出血の左腎を左大腿部に移植し,100時間後に摘出した症例である(1956).この楠の症例からさか上ること43年,今からだと78年も以前に,腎移植に対して並々ならぬ関心をいだいていた外科医が日本に存在した.それが三輪徳寛(1859〜1933)である.
三輪徳寛は1859年,愛知県に生まれた.14歳で医学を志して名古屋の医学講習所に入学し,のち東京に出て17歳のとき外国語学校に入学してドイツ語を修得し,大学予科(19歳),大学本科(22歳)と進む.1886年に卒業すると大学院でスクリバ教師(外科学)の指導を受けたが,1887年7月15日,盤梯山が噴火して被害463戸,死者444人を出した災害にさいして,医科大学から負傷者の診療に派遣された2名の大学院医師の一人であった.1888年助手となり,1889年文部大臣森有禮が刺されたとき治療に駆けつけている,同年第一高等中学校に赴任し,外科学を担当する.同校は1901年に千葉医学専門学校となるが,1914年その校長に任命されて院長を兼任した,1923年,千葉医科大学に昇格すると,第一外科教授を兼任のまま初代学長となり,翌年退官,1933年に75歳で病歿した.
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