教室だより
東京大学
寺脇 良郎
1
1東京大学
pp.403
発行日 1968年5月20日
Published Date 1968/5/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413200410
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周知のごとく,本邦各大学における泌尿器科教室は最近まで皮膚泌尿器科教室という変則の形をとつてきたが,これには東大泌尿器科教室の歴史が関与しているので,教室の沿革に触れつつ現況を述べる。
明治31年,土肥慶蔵教授が皮膚病学黴毒学講座(明治26年設置)の初の専任教授に就任された。土肥教授は先の欧州留学中に,皮膚病学研究の他にGuyon, Nitze等の泌尿器科学の先達に接して泌尿器科学にも非常な熱意と興味を持つて帰朝され,これが契機となつて,皮膚科教室を主宰されるに当り教室内に泌尿器科室を設けてその発展を図られた。以後,室主任には代々の助教授が当られ,大正10年には皮膚病学講座は皮膚科学泌尿器科学講座と改称され,次いで大正15年7月1日,泌尿器科学講座が分離設置の運びとなつて,根岸博助教授が分担された。そして,昭和2年7月,高橋明教授が新潟医大より初代教授として着任,泌尿器科学講座を担当されるに及んで,初めて独立講座となつた。しかし教室としては未だ皮膚泌尿器科教室の形をとり,昭和21年までこの形が続くのである。
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