教室だより
東京女子医科大学
河野 南雄
1
1東京女子医科大学
pp.779
発行日 1969年9月20日
Published Date 1969/9/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413200759
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教室だよりを書くにあたつて,今や国際的流行ともなつている大学騒動・ゲバ棒の時代に,女子医科大学なるゆえか今のところ平穏無事に学び,遊べていることを,まず特筆大記せねばならない。
本学は申すまでもなく,明治33年12月,吉岡荒太,彌生ご夫妻によつて,東京女医学校としてうぶ声をあげ,ヒトの生涯にたとえれば,明治45年に東京女子医学専門学校という学童期に入り,戦後昭和25年に東京女子医科大学という思春期に及んだわけで,この思春期にちようど男女共学の気運が風びしていたときで,共学にふみきるべきか否かに思い悩んだらしいが,結局,女子医科大学というわが国ではユニークな(共産圏は不明だが,米国に1校のみ女医大があるやにきいている)存在となつた。その後,附属機関としての,心研や,消化器病センターも併設され,ベット数も1,210床となり,生後67年にしてはじめて成人期に入り,これからの発展が期待されるわけである。
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