教室だより
鳥取大学
西尾 徹也
1
1鳥取大学
pp.909
発行日 1967年10月20日
Published Date 1967/10/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413200278
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山陰地方に医学校が創立されたのは,昭和20年の二次大戦中で,軍医養成という軍の強い要望にこたえて,当時の小学校が移管改造され,米子医学専門学校として発足した。戦後ひきつづき,昭和21年には,米子病院が附属病院となつた。この米子病院はいくたびか病院名の変遷はあつたが,明治26年に創立された山陰地方では由緒ある病院であつた。歴代病院長の中には東大名誉教授高橋明氏の兄君がおられ,氏も御幼少の頃当地にしばらく在住されたようである。
皮膚泌尿器科教室が開講されたのは昭和21年で,九州帝国大学泌尿器科教室の助教授であつた,吉田重春氏が初代教授となられた。米子医学専門学校を大学に昇格させるか否か文部省でかなり論議されたようであるが,当時の校長であつた下田光造先生はじめ関係者の絶大な尽力によつて,どうやら無事に昭和23年に米子医科大学に昇格し,また26年には鳥取大学医学部になつた。
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