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助手になりたてのころ,月に1回,城崎の近くの病院まで出張診療に行っていた.前の日の夕方,京都から山陰線に乗って2時間半,到着するころには日がとっぷり暮れていた.冬などは一面銀世界のこともあり,旅館でカニを賞味できるのも楽しみの一つだった.しかし,車中は退屈で,たいていは,週刊誌を読むか眠るかして過ごしていた.その日に限って,いまもって何故か判らないが,カバンに2-3冊の皮膚科のjour—nalを詰め込んで汽車に乗り,パラパラとめくっていた.Br J DermatolだったかClin Exp Dermatolだったか判然としないが,「cement burn」の論文が眼に止まった.「へえ,生コンクリートでこんなひどい熱傷みたいな皮膚病変が生じるのか」とひとしきり興味をもって読んでいるうちにうとうと眠ってしまっていた.出張から戻った翌日,外来に出てみると,驚いたことに,最初の新患が,何と「cement burn」だった.土木作業中,生コンクリートが長靴の中に入り,ピリピリとした熱感があったが放置していたところ,その夜から発赤,腫脹をきたし,水疱から潰瘍になったという病歴は,まさに山陰線の車中で読んだ論文そのままであったし,臨床像も写真と寸分違わぬものであった.私は,滑稽なほど興奮してしまい,仕入れたばかりの知識を10年も前から知っていたかのように患者さんにとうとうと説明した.生検もパッチテストも治療も完璧の出来だった.すべての結果を待って1週間ほどのうちに書き上げて投稿した論文が1981年の本誌に載っている.今,読み返すと気恥しいが,おそらく本邦で初めて報告された「cement burn」との出会いは,これほどの偶然だった.それまでに何人もの皮膚科医が何気なく診ていたであろう「cement burn」であるが,知らなければ私も当然見逃していただろう.外来では,こういう「見えども診れず」という症例がきっと多いのだと思う.外来を流れ作業でこなしているうちは駄目で,絶えず鋭い観察をしている臨床家のみが新しいclinical entityを確立しえるのだろう.身を引き締めて外来をしなくてはとつくづく思う.
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