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「組織のリーダーになる人間には,学生時代に一つや二つ,武勇伝があるもんだ.僕だって…(中略)….で,先生にはどんな武勇伝があるの?」というのは,私の恩師である故 尹浩信先生(熊本大学皮膚科前教授)の酒席での常套句だった.真偽を疑うほどの武勇伝の数々だったが,一緒に仕事をさせていただく中でまんざら嘘ではないと思える場面も多かった.2022年2月,縁があって東北大学皮膚科の教授を拝命した.が,私には胸を張って語れるほどの武勇伝はない.中高時代に名門校で破天荒な生活を送ったエピソードなど,茶目っ気を交えて描いてみたいものだが,私にはそれは当てはまらない.東京の普通の高校に通い,普通の高校生活を送り,そして普通に東京大学に憧れた.医学部生活は自分の平凡さを再認識する時間となったが,それゆえに医師になってからも色気を出さずに普通に日々努力できた.ある日突然組織のリーダーとなったわけだが,その日を境に人柄が変わるわけでもない.昨日のままの自分で組織を牽引しなければならない.予行演習があるわけでもなく,すべてが新しい経験なので,当然失敗もある.そんなときに大切なのは自分を客観視する力であり,日々の反省と強い向上心だけが頼りとなる.少し慣れてきた時期だが,未来の自分へのメッセージという意味も込めて,今考える抱負について述べてみたい.
「東北地方に強皮症診療の拠点を作りたい,これが私の夢です」,最後に述べたこの言葉が吉と出たか凶と出たか,定かではないが,結果を見れば吉であった可能性が高い.ならば有言実行あるのみである.着任日に合わせて「強皮症オンライン相談in東北」をホームページ上に立ち上げ,24時間と待たずに最初の相談を得ることができた.「そんなの意味あるの?」といった反応だった医局員に,何とか面目を保つことができた.次に,1か月半かけてすべての医局員と1時間の面談をした.難病と向き合う気概があるか,この点も重要な確認事項の1つだった.きさらぎ塾で言葉を交わしたことがある医局員は数名いたが,お互いを深く知っているわけでもなく,実質的にはすべての医局員が初対面だった.相手も緊張しているのが伝わってくるが,1対40というアウェー感を考えればこちらの緊張感のほうがはるかに上だったに違いない…が,それが伝わらないように,こちらも必死だった.個性が強く自分の主張のみを述べる医局員もいれば,こちらの質問をすべて他人事のように受け流す医局員もいる.「強皮症が専門?って,私たちも診ないといけないの?」といったような医局員の内なる声を勝手に妄想したりもしたが,そんな思いは杞憂にすぎなかった.強皮症をやりたいと自ら名乗り出てくれる若手が相次ぎ,あっという間に6名の専門外来となり,患者数も半年で80名に達した.膠原病科や循環器内科,消化器内科,呼吸器内科の先生方との連携も速やかに進み,東大病院と遜色のない診療科間連携が確立した.東北大学で開発された新規薬剤の医師主導治験の計画も舞い込んでくるなど,想定以上に強皮症診療にコミットできる環境となった.一方で,強皮症診療のみが尖らないように,細心の注意を払った.宮城県,ひいては東北地方の地域医療の要となる東北大学である.すべての疾患を同じ水準で診ていくバランス感覚が求められる.強皮症診療は東北大学皮膚科を変化させるものではなく,伝統を継承しつつ進化させるためのものでなければならない.強皮症の臨床や研究の知識が他疾患の理解にどのように活かされるのか,医局カンファや抄読会で繰り返し伝えることを意識した.まだ始まったばかりだが,小さな努力を積み重ねることにより,難病に向き合う気概,あきらめない医療を実践する情熱を育み,他科から信頼される皮膚科としてプレゼンスを高め,従来取り組んできた皮膚悪性腫瘍,アトピー性皮膚炎,乾癬,白斑,脱毛症など,各領域の診療・研究の質を高めていきたい.特別なことはしない.シンプルに仲間を大切にし,基本練習を積み重ねるのみである.これは全国制覇5回の伝統あるラグビー部で学んだ私の哲学の1つである.
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