連載 皮膚科学に貢献した医学者たち・4
皮膚ジフテリア
高橋 吉定
pp.446-449
発行日 1973年5月1日
Published Date 1973/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1412201153
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1.初めて記載した人
皮膚におけるジフテリア感染を初めて記載したのはArmand Trouss-eauである.彼は1801年11月4日トゥール(Tours)で生まれた.オルレアン(Orléan)およびリヨン(Lyons)で早く学業を終えたのち,シャトールー(Chateauroux)大学の修辞学の教授に就任した.ある晩餐会で彼は高名なブルトノー(Bret-onneau)に会つた.この人はジフテリアと腸チフスとの病理を初めて解明した医学者である.この年長者の勧誘に従つて,彼はトゥールの病院で医学の勉強を始めた.死体解剖台で彼はあまりに精励恪勤であつたので,その級友は彼に"兀鷹おやじ(Vultur-papa)"の仇名をつけた.トゥールにいる間,子のなかつたブルトノーからは,ほとんど実子同然の待遇を受けた.1825年パリにおいて学位をとり,1828年にはソローニュ(Sologne)におけるジフテリアの流行を調査するために政府から派遣された.ジブラルタル(Gibraltar)で黄熱病をしばらく研究した後,いくつかの病院で研修を行なつてから,パリのオテル・ディウ(l'HôtelDieu)に自分のクリニックを持ち,終生ここに止まつた.
トゥルソーは花々しい教師であつた.その門弟のひとり,ディウラフォア(Dieulafoy)はトゥルソーのクリニックの生き生きした描写を残している.
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