鏡下咡語
死海文書と中東和平
小田 恂
1
1東邦大学
pp.309-312
発行日 2006年4月20日
Published Date 2006/4/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1411100048
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昨年(2005年)2月9日の新聞各紙はイスラエル・パレスチナ両国首脳が停戦に合意したことを大々的に報じた。その6か月後にはガザ(Gaza)地区からのユダヤ人入植者の撤退も実現した。ガーゼの語源ともいわれているガザからのユダヤ人の撤退により,ようやく中東の和平問題に新しい局面が生まれようとしている。このガザ地区同様に,難民が入植しているのがヨルダン川西岸地区である。ヨルダン川はガリラヤ湖から死海に注いでいるが,この川を境に西岸一帯は政治的統治者が時代とともに代わり,統治国が定まらないところであった(図1)。その死海の北西部沿岸一帯にクムランと呼ばれる,ところどころに洞穴のある荒涼とした丘陵地帯が広がっている(図2)。20世紀の半ばごろ,偶然にこれらの洞穴群から多くの古代文書が発見された。それは今から2000年以上も前に書かれたもので,古代ヘブライ文字で書かれた旧約聖書の最古の写本と古代ユダヤ教の教義などが記された文書であることがわかり,宗教界を巻き込んで世界中に一大センセーションを巻き起こした。
発見当時,死海一帯はヨルダン領であり,この地で発見された文書が発見者や仲介の古物商などアラブ系の人々の手から宗教の異なるユダヤ人の手にわたった日と,国連でパレスチナ分割案が決議されユダヤ民族の国家であるイスラエルの建国が決定したのが偶然にも同じ日であったという因縁めいた偶然が重なった日であった。死海文書はこのような文書である。
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