臨床實驗
親子2代に見られたるablatio falciformis congenitaに就て
中島 宣之
1
1專賣公社京都病院眼科
pp.1021-1024
発行日 1952年11月15日
Published Date 1952/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410201343
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1893年河本(重),井上(達也)に依り「硝子體内生來結締織遺殘の1例」として報告され,其後諸外國に於てもSalffner, Heine, Holom, de Vries等が夫々Bulfus Septatus, Angeborene Cystenretina, Coloboma corporis vitrei, Arteria hy-aloidea persistensとして報告し,1935年に到りWeveが乳頭より水晶體毛樣體に到る網膜の索状乃至扇状の皺襞形成を有する一種の劣性遺傳型式を取る先天性眼發育異常をAblatio falciformiscongenitaと命名し,又時を同じくしてMannは同一疾患をCongenital retinal foldと稱し,兩氏共其の症例に就て詳細な報告をしてより俄かに注目されるに到り,夫以來Hess, Evans, Juler,Doyne, Tillema, Law,岸本,高橋,新美,林,田川,北岡,大槻,松尾等各氏の報告に依り40數例に及んでいる。
而して現在成因に關しては組織學的検索を行つた例もあるが尚不明なる點が殘されている。私は最近一少女の眼底所見より本症と考えられる例に遭遇し家族歴を追及中偶々其の父親にも類似の所見を得,兩者共興味ある皺襞形成を認めたので報告し考按を試みたいと思う。
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