談話室
眼科學講座の初め
山賀 勇
pp.282-283
発行日 1952年3月15日
Published Date 1952/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410201121
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わが國では古くから眼科は外科とは別に一科をなし,尾張の馬島明眼院を初めとして,諸所に有名な眼科があつて,明治大正の時代になつても遠くからその名をしたつて患者が集るという有樣であつたが,歐洲では多くは外科の一部として外科醫の手にゆだねられ,1839年,斜視手術を始めたベルリン大學のDiffenbachも外科の教授であつた。特にプロシヤでは眼科學講座獨立のためには,政治的な運動さえ行われて漸く實現したのに比べると,わが國では極めて自然に明治の初めに於て東京醫科大學に眼科學講座が獨立して設けられた。一方アメリカ合衆國では却て眼科と耳鼻咽喉科とを併せた病院及び專門家があつて,學會も二つを合せて行われているものがある。これらの世界主要國の眼科の成立のあらましを23回にわたり述べたい。
まずフランスでは,1765年,パリー外科學校に於て歐洲最初の眼科教授としてDechais±Gendron (ドウシエー・ジヤンドロン)就任し,又この頃1788年モンペリエに於ても外科學院に眼科講座が開かれSeneaux (セノー)教授となる。併し次で起つたフランス革命のために中絶し,ナポレオンー世によつて1808年パリー大學が復興されたが,漸く1873年になつてPanas (パナス)は新設の大學病院Hotel Dieuに助教授として眼科を講ずるに至り1879年には正教授となつて眼科講座を創立したのであつた。
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