談話室
緑内障手術の歴史
山賀 勇
pp.683-685
発行日 1951年10月15日
Published Date 1951/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410200971
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ギリシヤ時代の後期アレタサンドリヤ時代になると,眼穿刺により治癒するものと治癒しない別の瞳孔の溷濁があることが知られていた。前者は即ち白内障(Hypo-chyma又はSuffusio)で後者は緑内障(Glaucoma)である。而して白内障は水晶體の前方に病的體液が集まつたものであると解し,緑内障は水晶體それ自身の病變であろうと考えられ,當時は水晶體そのものに視機能があるとしていたので,とにかく白内障以外の失明で特に瞳孔に變化のある不治の疾患を凡てこれに入れてしまつたものの如くである。緑内障のGlaucomaの意はMee-rgrunで瞳孔領の緑色に見えることより出た。
かくの如くギリシヤ時代には緑内障のことは未だ判然と理解されないが,ローマのGalenusは眼膜の緊張によつて激痛を生ずることを述べている。又アラビヤ時代になると明かに緑内障のことが知られ,Ali ben Isaは水晶體が乾燥すると眼は青くなり視力が障害されると述べている。その後中世ヨーロッパには新説なく18世紀の初めに及んだ。
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