Ⅶ温故知新
村上俊泰先生の近況
芥川 靖治
1
1慈大眼科
pp.43-44
発行日 1949年1月15日
Published Date 1949/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410200313
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村上先生にここ數年も御目にかからない弟子なら誰でも驚くであろうが,近頃の先生には悟りと言つた樣なものが感じられ又先生の身邊からは慈愛が溢れてどこかに菩薩を彷彿しておられる樣にさえ思われる。
近頃の村上先生を知るために故きを温ねるならば,先生が慈惠醫大え着任されたのは大正11年2月であられたが,間も無く襲い來た關東大震災のため勿論疎開などあろう筈もなく全校と共に眼科教室も亦灰燼に歸してしまつた。先生はこの殆ど無にひとしいバラツクの中で子弟の御指導と教室の再建に鋭意遭進されて着々とその賓を舉げられ,今では110名の門下生を擁する慈眼會や色々な教室の設備も出來た譯であるが,その途上に於ける先生の御辛苦の程は到底私共の想像し及ばぬところである。從つて教室に於ける先生の御態度は全く嚴格そのものであつて,教室は學問すると同時に人間を創る道場であると言われ教室員の夫々の個性を良く把えて陶冶された。然し先生の嚴格さは神經質や潔癖からでなく,正しくあつて確かであれと言ふ先生の信念から由來するものであるから先生に酷く御叱りを受けてもその理路整然たる前には誰も頭を垂れすにはおれない。月例會での研究報告や抄讀でもあくまで正確さを要望され一字一句決して勿せにされず喋る者の緊張たるや一通りでなかつた。又論文を見て頂く時も全く同樣で先生の透徹した頭腦には感歎の聲を放たないものは無い。
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