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はじめに―研究のきっかけ
筆者がアメリカに留学した1995年頃は,成体哺乳類(当時はげっ歯類)の脳から取り出した神経幹細胞を未分化のまま培養しようと試みていた時代であった。留学したソーク研究所Gage教授のラボでは,培養によって盛んに増殖する神経由来の丸い小さな細胞が神経幹細胞であるかどうかという議論で盛り上がっていた。Gage教授のミーティングでの言葉が印象的であった。「まずこれが幹細胞であると信じるかどうかだ」と。
新しい研究を進めていく際は多分に賭けのようなところがある。過去に判明しているさまざまなデータを収集して,仮説を立て,まだ証明されていない部分を明らかにしていく。集めたデータのなかには正しいものばかりではなく正しくない部分もあるし,論文の結果から筆者が気づいていないあるいは隠している考察もありうる。実験結果が示す可能性は直線ではなく面状に広がる。その面は明らかに正しい白い部分と間違いと思われる黒い部分とその間のグレーなゾーンをもつ平面である。それらを総合して白からグレーの面の重なる部分を真理として判断して導き出した自分の仮説をいかに信じるかということである。その飛躍が小さいと最初から結果のわかるおもしろくない研究になるし,飛躍が大きいと危ない仮説となる。飛躍の確かさを読むところが賭けであるが,その仮説を信じる熱意が足りないと実験結果が出ないことになる。一方,仮説を信じ過ぎて固執することは危険で,結果によっては修正できるように仮説の方向性に幅をもたせることも必要である。
Gage教授の言は幹細胞であると信じて研究を進めてくれということであった。研究室の他のポスドクの結果でおもしろいなと思ったのは,海馬由来の神経幹細胞が嗅球に移植すると海馬には存在しないタイプの神経細胞になって生着することであった1)。この結果と他のラボからのデータを合わせると,この当時,神経幹細胞は中枢神経のどこから採取したものでも同様の性質をもつと思われた。それならば中枢神経である網膜にも応用できるはず,単純にそう考えたことがこの研究のはじまりであった。
今は当然のことのように思える神経幹細胞の概念も,中枢神経は再生しないという100年の呪縛の下では,その当時理解するのに少し時間を要した。この細胞が幹細胞であるということはどのように証明すればよいのか,幹細胞の条件である自己分裂能や多分化能を有すると証明されたときにはその幹細胞はすでに消滅していること,同様の形態をもつ培養細胞のなかに幹細胞から前駆細胞あるいはもっと分化した細胞までさまざまな段階の細胞が混在していることなど,培養を続けるうちに段々に実感として理解された。
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