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米欧視察覚え書(Ⅴ)
水野 潤二
1
1名古屋市立大学婦人科
pp.931-936
発行日 1959年10月10日
Published Date 1959/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409202055
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ナポリ—ポンペイ(28/IX-29/IX)
ローマのすべてを知るには5年間この地に留る必要があるといわれる位,ローマは歴史的,芸術的興趣の尽きない永遠の都であるが,残された滞在期間の最後の1日を割愛してナポリからポンペイへと足を延ばした。「ナポリを見て死ね」という言い慣しに従つた訳ではないが,ナポリの大学にはモントリオールで知り合った学者がいたことと,ローマの遺跡を見てポンペイの遺跡への関心が深められた為である。
ローマからナポリへの2時間半の鉄路は完全に電化されていてとても速く快適であつた。日本の鉄道はイタリーなどよりは勝つている積りでいたがどうやら寧ろ逆の様である。沿線の風景は欧州大陸とは違つて山あり海ありで日本に似たところがあるが,時節にもよるのであろうけれど乾燥していて日本の緑したたる風情に比すると,何となく索然とした感じがした。それに南イタリーは土地が痩せ貧しそうでもある。ローマの駅で買った日本の駅弁に相当するバスケットランチには,葡萄酒の瓶がついていて,独り旅の寂しさも陶然とした気持のうちに消え去つてしまう。
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