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3月14日,慶応大学整形外科より電話で岩原名誉教授が亡くなられた事を知らせて頂いた.
岩原さんは数年前より入院生活をしていられたので数回病室にお見舞に訪ねたが,最近はお見舞にお訪ねもせず失礼していた.それはお見舞にお訪ねしてもお慰めする言葉が無くなって来たからである.昭和一桁時代には整形外科の講座のある大学も少なく,医学界でも低い地位にあったので,当時若手の整形外科医であった東大の三木威勇治,慈恵医大の片山良亮,慶応大の岩原寅猪と私の4人は学問上の討論は活発に行っても私的交友は親密に行い整形外科学会の団結を強くして発展せしめようと度々4人で話し合っていた.それから早くも半世紀が経過し,今は日本整形外科学会は会員数14,000名以上となっている.その間岩原さんの活躍も素晴らしいものがあった.昭和10年当時慶応大学の整形外科教授は前田和三郎先生であったが,第10回の整形外科学会長になられた時,外科学会長も慶応大学の外科教授の茂木蔵之助先生であったので御相談の結果,外科と整形外科の両学会の合同宿題講演が行われ九州大学の神中教授が股関節外科を,前田教授が脊髄外科を講演せられた.この時前田教授は岩原助教授と連名で発表せられた.前田先生と私が昭和54年対談をした時に話されたが,この講演は岩原助教授がよく働いてくれて脊髄外傷,脊髄腫瘍とコルドトミーの資料を集めてくれたので,これを中心にして講演したと話された。この時前田先生の講演は3時間休むことなく朗々と話されたのを今も思い出している.戦争が激しくなって岩原さんも東京第一陸軍病院で脊髄損傷患者の治療方面に働いておられたが,昭和16年岩原さんが去られた後に私が大阪の陸軍病院から東京に移って行った.岩原さんと私との間には因縁浅からざるものがあったと思う.
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