視座
「過保護」整形外科
飯野 三郎
1,2
1東北大学
2東京女子医大
pp.695
発行日 1972年9月25日
Published Date 1972/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408904732
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近ごろ一般社会現象としての「過保護」が云々され,例えばその代表に,大学の入学・卒業にまで母親が幼稚園なみに付添つている光景がある.こうした子は,当然そのずつと幼少時から荒い風にも当てず,家庭教師やらお抱え医師による過保護の連続であるところに問題がある.すなわち,発育・成長という最も大切な人間形成期に,本来必須な適性刺戟を与えられていないということである。勢い,こうして世間に放り出されたモヤシのような青年は,忽ち蔽いかぶさる社会的洪水の物理的・身体的・精神的ストレスになぎ倒され,挫折して,人生の隅にかくれてしまうか,或いは逆説的な自己欺瞞の頽廃に身をゆだねざるを得ない.同じことが近ごろの医学の世界でも,例えば薬剤の過剰投与や誤・濫用の弊として日常現われている.この現象が我々の整形外科でも例外ではないことは,ことさら身にしみる思いがする.
その最も卑近な例の1つとして,近ごろ大流行のAO副子を挙げざるを得ない。なるほど,生体無刺戟の材質金属を,強度要求に十分こたえるようにデザインし,骨折端に圧力を加え,外装固定の必要もなく即近関節を初めから可動にし,骨折部は「仮骨なき」一次的治癒を営む.話は一応尤もで,これでどこが悪いかということになる.
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