追悼
すいちょうさん
天児 民和
1
1九州大学医学部
pp.891
発行日 1967年9月25日
Published Date 1967/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408904284
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関東労災病院長水町博士が亡くなられたいう話を聞いて私は驚いた.実は私は8月4日欧米旅行から教室に帰つてきた.帰つてくると水町さんからの手紙が私を待つていた.その内容は第2回パラプレジア学会を10月に開催したいということと会員に泌尿器科の専門家をもう少し入るように勧誘したいということである.早速私は万事水町博士にお願いすると返事を書いた.その返事が到着したと思われる頃にこの悲報に接したわけである.
我々は水町博士をすいちようさんと呼んでいた.長い間の交際というより彼と私は大学こそ異なるが卒業年次は同じである.同じように整形外科に志し,まだ極めて専門家の少なかつた時代から一緒に勉強してきた.それだけにすいちようさんと呼べる親しい間柄でもあつた.彼は何でもやりたい意欲が非常に強かつた.戦争中は臨時東京第三陸軍病院,今日の相模原国立病院の前身であるが,そこで四肢戦傷患者の訓練を始めた.今日で言うリハビリテーションである.
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