整形外科を育てた人達 第131回
Emanuel B. Kaplan(1894-1980)
天児 民和
1
1九州大学
pp.1244-1245
発行日 1994年11月25日
Published Date 1994/11/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408901495
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最近手の外科の開拓者の一人であるRobert Guy Pulvertaftの伝記を書いたが,Emanuel B. Kaplanもまた手の外科の有力な学者でもある.Kaplanは1894年4月25日にUkraineのKrementshougで生まれた.成長して教育を受ける時にまずフランスのMontepellier大学で初級の教育をうけ,医学教育はロシアのKhrarkov大学で1912~1916年の間勉強して学士号をもらった.そして彼はロシア革命と第一次世界大戦の間,Imperial Russian Armyの軍医として働いた.この時の色々な経験が人々の苦しみの軽減に自らの生涯を献げるもととなった.戦後,Ukraineが飢饉におそわれた時,Kaplanは,米国難民救済援護局の医師および通訳として働いた.Kaplanの類稀な語学力―Kaplanは5力国の国語を話した―と,医学的な優れた能力を知ったHerbert Hooverが米国に来ないかと勧めたので,Kaplanは1924年に米国に移り,1927年にはNew Yorkで個人診療所を開いた.
KaplanはNew Yorkにある整形外科病院で,整形外科を専門にトレーニングした最初のレジデントの一人であったが,後に認められて,その病院の手の外科の部長になった.
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