人と業績・12
国崎定洞(1894-1937)
山本 俊一
1
1東京大学衛生学
pp.482-483
発行日 1981年6月15日
Published Date 1981/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401206333
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筆者が敗戦後間もなく東京大学医学部衛生学教室に入局させていただいた時には,国崎定洞は教室の中では伝説上の人物であった.東大医学部を首席で卒業し,若くしてわが教室の助教授となったが,文部省留学生としてドイツに行き,現地で結婚して共産党員となり,帰国せずに行方不明になったままである,ということであった.ところが,昨年夏に突如としてこの伝説が現実化し,遺児タツコ・レートリッヒさんが,国崎定洞の旧知である曽田長宗,有沢広巳,千田是也氏などの斡旋により来日され,亡父のおられた東大衛生学教室にも来訪されて,大きな感銘を受けてドイツへ帰って行かれた.
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