追悼
脊髄外科の開拓者東陽一先生を偲びて
天児 民和
1
1九州大学
pp.679
発行日 1990年5月25日
Published Date 1990/5/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408900120
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東先生は大正11年東大を卒業して外科の助手を3年して欧州に留学,その時神中先生も留学中で東先生が帰国後結核病院を開設する希望を話した時に結核は骨,関節にも多いので整形外科の知識が必要と教えられ,神中教授が大正15年に九大に着任せられた後に昭和3年に東先生が来て講師になられた.その頃浅田為義助教授がドイツに留学中に病気になり帰国後静養のため郷里に帰ったので,昭和5年には東講師が助教授となられた.当時,北九州には炭鉱が多く落盤事故で脊髄損傷が頻発したので,その研究を重視して東先生もミエログラフィーの研究をせられ,私も東先生の御指導を受け造影剤によるミエログラフィー障害を調査しこれが私の最初の論文となった.東先生は脊髄外科の研究を進め,昭和7年日本整形外科学会で「ミエログラフィーと脊髄外科」のテーマで宿題報告をして椎間板ヘルニヤによる坐骨神経痛の手術に成功した.これが日本の椎間板ヘルニヤの最初の手術成功例である.この成功例により,それまで坐骨神経痛は多くは内科を受診していたのが整形外科に来るようになり,東先生の活躍により整形外科の領域が広くなった.この時の報告は医学雑誌のグレンツゲビートに発表せられたが,これが戦後廃刊になったので東先生の功績が広く知られていないので昭和57年に私が東先生と対談して『臨床整形外科』(第17巻3号)に詳しく記載した.
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