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溶血性黄疸と摘脾に就て
市吉 親夫
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1九州大學醫學部第二外科學教室
pp.444-448
発行日 1948年11月20日
Published Date 1948/11/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407200387
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緒言
溶血性黄疸に關する報告は,Murchison(1885),Wilson(1890)等の記載に始まる。然し乍ら1900年Minkowskiが長期に亙る黄疸,ウロビリン尿,脾腫,腎臟鐵沈着を伴ふ症例を報告し,之が先天性素因に基き,而も生命には甚だしい影響のない事を明かにしてより,本症に關する研究が盛となり,其後Chauffard(1907)は本症に於ては,低張食鹽水に對する赤血球抵抗の減弱,微小赤血球の増加及び骨髓機能亢進の存する事を證明して,茲に先天性の系統疾患として取扱はれるに至つた。然るに他方Widal,Hayem等によつて,後天性溶血性黄疸の存在が唱へられるに至つた。
本症に對して初めて脾摘出を行つたのはMicheli(1911)であるが,Banti及びEppingerが,本症の一次的原因を脾臟の異常機能亢進に基くものであるとの見地から,本症に脾摘出を行つて顯著な效果を收めて以來,多數諸家によつて追試せ本症の治療法として脾摘出を賞讃する者多く,本邦に於ても漸次其の報告例を増しつゝあるが,尚歐米に比べてその例數は僅少である。
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