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編集会議で話の落つくさきはいつも量よりも質の充実ということである。幸い最近は内容も文章も十分にねつた力作が増えている。しかし,編集者一同首をひねるようなものもまつたく姿を消したわけではない。原著優先の建前からも力作は一編でも多く掲載したいので,諭文としてあまり長すぎるものや投稿規定をはずれているものは返却して御一考を願う場合が今後増えてくることと思う。本誌の充実のため御協力を切に願う。
最近国際水準の仕事ということがよく言われる。これについて先年引退された生化学のM教授から伺つて感銘を受けた話がある。同教授は随筆家としても知られ,何冊も著書のある方で,この話も確か「D教授の言葉」として文字にしておられる。要旨はこうである。D教授とはノーベル賞受賞の物理学者として有名なデバイ教授のことで,M教授は留学中その教室に学ばれた。帰国の龍に日本の科学者へなにか、襟がないかとの質問に対してデバイ教授は次のように答えたと言う。「日本が欧米流の科学に接してからなお日が浅い。それに追いつくだけでもたいへんな努力がいる。しかも日本独自のものも生んでゆかねばならない。そのためには単に欧米の文献のつぎはぎをやつて問題を探すことはやめたほうがよい。そのような方法はきわめてとりつきやすい。しかし,いつたんそれに身をやつしたら,あたかも自分が新らしいことに従事しているような錯覚におちいり,まるで泥沼にはまつたようなものでそこから抜けだすことができなくなり,独自のものを生む余裕などなくなつてしまう。日本の人々としてはなによりもまず対象そのものを自分の眼でみつめ,そこから問題を探しだし,自分なりにそれを追求して結果をだす。それから外国の文献にあたつてみる。日本より出発の早かつたそれらの国々は当然過去の経験の蓄積も多いから,必ず誰かが貴君らの先を行つていることであろう。しかし,それで挫けてはいけない。以上のことを考慮に入れてまた対象にかえることだ。そしてふたたび自分の眼でそれをみつめ,問題を探さねばならない。しかし,それから得た結果も必ず外国文献に先を越されているだろう。それでもよい。ふたたび対象にかえることだ。こうした努力の繰返しは時には絶望的な気持を生み,やすきにつく傾向を生ずるかもしれぬ。しかし,そこが肝腎だ。近道というものはない。倦まずたゆまずこれを繰返してゆけば,必ず自分の"指紋"のついた仕事が債み重なつてゆく。そのような仕事の蓄積が日本独自のものをたくまずして生んでゆく」というのである。当然と言えばこれ以上当然のことはないが,自分自身に照してみて耳がいたい。しかし反面,国際水準だインターナショナルだと意識しないでも,自分の足もとをみつめ,日常のささやかな仕事に自分の"指紋"が残るよう心がければ,いつかは外国にも知己を得る道を歩んでいることになるのではあるまいか。
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