- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
1959年6月,橋本義雄教授の御推薦によりフルブライト留学生として渡米し,2年間のresident生活の後,さらに1963年夏にいたる2年間を,BostonのThe Children's Hospital Medical Center (CMC)でresearch fellowとしてすごし,このほど帰国したのであるが,今回は,米国における脳神経外科,特に小児のそれについて,私の経験を述べたい。
筆者が,同時期にassistant in neurosurgeryとして,2年間を送つたPeter Bent Brigham Hospital (PBBH)は言及するまでもなく,50年前にHarvey CushingをSurgeon-in-Chiefとして発足した脳神経外科医にとつて誠に由緒深い病院である。これと白亜のハーバード大学医学部の建物を挾んで,楚々として立つているのが,これも世界的に名のあるThe Children's Hospital Medical Centerである。ここのneurosurgeryのメンバーは,PBBHとまつたく共通のstaffで,廊下づたいに,両病院を往き来している。現在の主任は,Franc D. Ingraham であるが,1961年春の心筋硬塞の発作以来,からだを大事にされ,64年春には正式に引退するということである。それもあつて実際にはDonald D. MatsonがJohn Shillito, Jr.とともに日夜精力的な活動を続けている。現在James L. Poppenの活躍舞台となつているLahey Clinicの脳神経外科の創始者であるGilbert Horraxとともに,伝説的にまで気性の激しかつたCushingとは正反対に,Ingraham,Matson,Shillitoの3人がそろつて,数多いneurosurgeonにも稀な温厚な紳士であることはたいへん興味深い。結局あの天才的なCushingの跡を正統に継ぐ人々はあくまでも冷静なタイプの人間であつたのかと,何か考えさせられるものがあつた。
Copyright © 1964, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.