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昨今の風潮の一つにマニュアル化がある。ある事柄への対処方法などについて説明するとマニュアルを作ってほしいといわれることがしばしばある。特に精神医学の個別性が複雑に絡んだ“奥儀”ともいえることについてこういわれると,一瞬抵抗を憶え,マニュアル時代を嘆きたくなるのは中年以上の世代の人間であることの証明であろうか。確かに今や多くの人々が部厚いマニュアルを読みながら,コンピューターの操作を勉強しなくてはいけない時代であるので,何事もマニュアルに頼る風潮ができるのももっともなことではある。また地震や非常時の対処にマニュアルは絶対必要で,それに基づいて訓練やチェックが繰り返し行われるのは結構なことである。問題はこうした風潮によって,何事もマニュアル化できると思い込む人間や,マニュアル通りにしか考えられず,動けない人間が出てくることである。このマニュアル人間はどの分野でも困り者だが,精神科の臨床においては特にそうである。
しかし,マニュアルには定説をさらに一般化,啓蒙する作用があり,その効用は認めなければなるまい。精神医学の分野ではDSMが文字通り壮大なマニュアルであり,それに対する批判,抵抗も依然強いが,何が定説かを明確にした上で専門家でなくともわかるようにした功績は認めねばなるまい。もっとも,DSMはその名称が示すとおり,診断と統計のためのマニュアルであって,臨床精神医学で最も重要な土居1)のいう“見立て”とはほんの一部分でしか関与しないことを知っておく必要があろう。見立てにはスーパーヴィジョンを受けた数多くの症例検討を通して得た,膨大な臨床体験に裏打ちされた“奥儀”の要素が多く,マニュアル化にはなじまないからである。
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