巻頭言
第12回国際児童青年精神医学会を終えて—講座の新設と診療科の独立への思い新たに
白橋 宏一郎
1
1国立仙台病院
pp.1150-1151
発行日 1990年11月15日
Published Date 1990/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405902937
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第12回国際児童青年精神医学会は,去る7月16日から20日までの5日間,国立京都国際会館において開催され,無事に終了した。47カ国から1322名の参加をみることができ,当初の予想を遥かに超えるものであった。いま学会が盛会であり,得るところが多かったという外国からの多数の便りを手にするとき,一応の成功を収めたといってもよいと思われる。そこで,学会の開催,運営にかかわった者の一人として,学会開催がもたらした意義を振り返ってみたいと思う。
国際児童青年精神医学会にわが国が加盟したのは1969年のことであったが,1984年,香港における理事会で日本開催が正式に決定した。その背景に,第9回(1978年,メルボルン)以降,わが国からの積極的な参加も挙げられるが,1982年ごろからわが国の学会内部には国際学会の日本開催を提案しようという気運はあったのである。このような経緯で,1987年,日本児童青年精神医学会を主催母体として組織委員会の結成に着手されることになったが,翌年の4月,不幸にも牧田清志組織委員長(東海大学教授)が亡くなられた。舵取りを失った組織委員会の前途は多難で,日本児童青年精神医学会は国際学会を引き受ける確固たる肚をもっているのか,引き受けられる能力を現実にもっているのかといったことも問われるところとなった。このことは取りも直さず,日本児童青年精神医学会の歴史と使命をもえぐられかねない重責となったのである。
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