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はじめに
窃盗とは,広辞苑(第6版)によれば“他人の財物をこっそりぬすむこと。また,その人”,万引きは“買い物をするふりをして,店頭の商品をかすめとること。また,その人”とされる。
種々の窃盗に対する刑罰が記載されていた古代のハンムラビ法典(紀元前1700年代),旧約聖書のモーセの十戒(紀元前300年頃以前)中の窃盗を禁ずる文言,本邦の古事記(712年)中の,古代の皇族の部下の窃盗の話など,窃盗は,貴賤を問わず古代からなされてきた犯罪行為である。そのうち“万引き”が始まったのは,大量消費社会が具現された16世紀のロンドンで,“shoplifting”の語が人口に膾炙するのは17世紀末である16)。
さて,その窃盗を種々の理由で繰り返す人々,中でも,盗むという衝動に抗しきれず窃盗を繰り返す人たちがいる。その盗みは,通常の意味での物欲や金銭欲によるものでなく,いわば窃盗のための窃盗である。自己の窃盗衝動を制限できず,多くはそのリスクに見合わない少額の万引きを繰り返し,悩む。罰金,懲役など司法処罰でも,馘首,家庭崩壊など社会的制裁でも,その窃盗は止まらない。それが窃盗症〔クレプトマニアk(c)leptomania,以下,本症〕である。筆者の常勤する特定医療法人群馬会赤城高原ホスピタル(以下,当院)にはそのような人たちが,連日訪れる。
何らかのストレスの回避あるいは発散の方策として,衝動的になされた1回の万引きの成功〜快体験を機に,以後,種々の葛藤に面した時に,同様の万引きをなすことが時に無防備に繰り返され,あるいは徐々に巧妙化,大量/高額化するのが本症である。本症についての精神医学的知見が未だに乏しい中,この分野で際立った臨床体験を有する竹村は,これを「窃盗症は衝動性の障害として発生し,嗜癖問題として進行する」,と表現している20)。
現在,本症に対しては,Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders(DSM)とInternational Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems(ICD)での診断基準が広く使われている。両者は,合併症,鑑別診断での違いもあるが,内容の大部分は共通しており,ともにこの“当人の立場に鑑みて,割に合わない”,“異常な衝動性”およびその衝動性による問題行動が“繰り返し現れる”という“病的な習慣性”に焦点を当てた診断基準であると考える4,24)。
本稿では,過去の国内外の代表的なテキストや,現在の国際的診断基準におけるこの障害の記述を振り返りながら,また,当院での臨床体験も踏まえ,本症の本質を論じてみたい。
本症は,ギャンブル障害,インターネット使用障害,買い物嗜癖,性嗜癖,摂食障害などとともに,精神医学的には行動嗜癖の一つとされる。精神障害としての常習窃盗,クレプトマニアは古くからある病名であるが,行動嗜癖の中でも最も治療体験と研究の蓄積が少なく,実態の解明が遅れている。当院とその関連医療施設の京橋メンタルクリニックでは,常習窃盗症例の登録システムを構築しており,両医療施設で筆者らが診療しあるいは相談にかかわった症例は2008年1月から2017年10月の9年10か月で1,700例に達した。なお,クレプトマニアの邦訳名としては,“病的窃盗”,“窃盗癖”などが使われてきたが,アメリカ精神医学会による『DSM-5精神疾患の診断・統計のマニュアル』(2013)では,日本精神神経学会によって新しく“窃盗症”が採用された。以下,本稿でもこの“窃盗症”を用いるものとする4)。
一般的に常習窃盗は,①経済的利益のために金目の物品や金銭を盗む職業的犯罪者,②飢えて食物や生活必需品を盗む貧困者,③金があるのに些細なものを盗む病的窃盗者,の三種類に大別される。もちろん現実にはこれら三種の境界型,混在型,移行途上型など分類困難なタイプや,これら以外の熱狂的なコレクター(収集狂,蒐集嗜癖)や知的障害による常習窃盗も存在する。日常用語になった感のある日本語の“窃盗癖”は,広く②,③型両者の常習窃盗を意味し,必ずしも③型窃盗と同等ではない。本稿では,窃盗症は③型窃盗の一部であって,DSM-5の診断基準によって精神障害と診断される常習窃盗とする21)。
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