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はじめに
「金沢学会」の解説から始める。
わが国の精神科医療・医学の拠り所である「日本精神神経学会」の学会誌「精神経誌」には,毎号巻末に必ず次のような学会の基本理念が記されている。
「公益社団法人日本精神神経学会は明治35年(1902年)に創立され,『精神医学と神経学の研究を進め,会員相互の連絡提携を図り,もって学問,文化の発展に寄与する』ことを目的として,学術研究のみならず,精神科神経科臨床に関する広範な現実的課題とも取り組んできた。特に第66回総会(金沢,1969年)以来,学会が日本の精神医療・医学の反省と今後の進むべき道を基本テーマに真摯に検討して来た経緯に鑑み,各学会員は常に下に掲げる学会基本理念を堅持することを求められる。(以下の1,2,3,の条項は略)」
この「特に第66回総会(金沢,1969年)」の様子を明らかにすることが,筆者への課題と思う。上記の「金沢学会」とは,昭和44年(1969年)5月20〜22日,金沢市で行われた第66回日本精神神経学会総会(会長:島薗安雄,副会長:大塚良作)のことである。それはわが国の精神科医療・医学の大きな転換点となった歴史的な学会のため,その後は「金沢学会」と固有名詞化された。
学会は異例の経過で終始した。学術講演のすべてを中止して,3日間のわが国の精神科医療・医学の問題点,特に「医局講座制」について討議された。そして,「理事会不信任・評議員の解散決議・総会の運営については,従来の製薬資本や関連病院などからの寄付慣習を反省して総会は学会員の負担によって運営される」ことが学会総会で決議されたのである。
学会の文字による記録は,精神経誌71巻第11号(1969年)に詳細な3日間の「学会議事記録」として残されている。しかし当時のこと,そこには1枚の写真もない。百聞は一見に如かずとか。
約半世紀前の「金沢学会」当時,筆者は学会運営を務めた裏方のひとりだった。
以前他誌に写真や資料を集めて書いたことがある。学会の基本理念は変わらないが,約半世紀を経た現在の「こころの医学・医療」は大きく変貌しているように思う。そこで本稿では時計を逆まわりさせ,「あの時代の記録・金沢学会」の資料を中心に歴史的に記録してみた。
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