- 有料閲覧
- 文献概要
日本人は一般に語源学etymologyに弱い。そのよい例が「診断」diagnosisであろう。われわれはこの「診断」という訳語を気易く用いているがこのことばを語源学的に検討したことがあろうか。
diagnosisということばはギリシャ語のdia(間,英語ならamong,between,throughなどに当る)という前置詞とgnosis(知識,英語ならKnowledgeに当る)という名詞を繋ぎ合わせて作られた熟語であって,直訳すれば「間の知識」,「間にある知識」である。円の「間の長さ」だからこれをdiameterといい,糖が血の間を歩く(betes)からdiabetesなのである。では医学の場合何の間にある知識なのであろうか。この場合2つの解釈を必要とする。その1つはその状態があまりにも特異的(specific)であることによって他の障害や状態を区別することの出来る知識Knowledge of acertain condition so specific that it could bedistinguished among othersであってむしろこれはわれわれが鑑別診断と呼びなれて来た意味合いに近い。そして現在「診断」というと大部分の人がこのような意味合いを考えている。つまりこれは一群の対象に対して用いられるグループ・ネイミングであって「診断」ということばの持つ意味合いの中diagnostic classification,diagnosticnomenclature即ち診断分類と呼んでよいグルーピングであろう。このことと次に述べる「診断フォーミュレイション」ということとは明らかに区別されねばならず,この診断分類をAllportはnomothetic approach(名称的アプローチ)と名付けている。多方残念ながら精神科の領域には,他科のように「脛骨骨折」,「マラリア」という診断名はことの成りたちから,大体の共通な取扱いの方向づけまでを明らかにしているようにin-putの知識とout-putの知識とを繋ぐその間にある有用な,「間の知識」として役立つような診断名は必ずしも豊かでない。ここに問題があるのであって「診断」ということばを最も茶の間のことばに置きかえるならば,それは目の前の患者が,そも何者であることを識ることto know what it isである。前にも述べたように私は診断とはin-putとout-putとの間にあって必要欠くべからざる知識―少なくとも眼前の患者を扱うためにはこれに勝る前提はないという最上級の重要性を持つ作業であって,外国―殊に力動的な方向づけを持つ国々の教育課程では大変に重要なdiagnostic formulationという「診断」の概念の持つ,捨てることの出来ない一面があることを知らねばならない。Formulationという語を英和辞典で引くと「公式化」という訳が出て来るが,この訳では何のことかその意味は通じない。診断的公式化などの直訳は余計に人々のアタマを混乱させるだけなので私は敢えて診断フォーミュレイションと邦訳をつけずに用いることを提唱している。これは眼前の患者個人がどのような成立機転から現在の病的なmanifestationを示すに至り,―ここまでがin-putの情報であり,それからまとめあげられた知識の綜合によってその知識の反映が,out-putである取扱い方針の樹立を規定するという意味での間にある知識であらねばならないのである。このin-putの情報としては,その個人の訴えられた主訴,現病歴,個人歴(生活史),家族歴,既往歴など詳細な病歴の聴取,現在症,必要と思われ,本人または家族の同意によって行われた臨床検査の結果などが含まれねばならない。この診断フォーミュレイションのことをAllportは個人歴的アプローチidiographic approach,または個人的臨床アプローチとも呼んでいるが,筆者はこの診断フォーミュレイションという操作は日本ではあまり注目されていないが,こと精神医学的診断に関する限り,第一義的重要性をもって行われねばならないことだと声を大にしたい。それをどのような診断分類に位置づけるかはむしろ二次的な操作と考えてよいとすら思っている。しかもこの重要性に関しては力動的方向づけを持つ学派から脚光を浴びたと先に苫いたが,この操作はそれが情緒因性の場合でも体因性の場合でも,また両因が重なって絡み合っている場合でも同様に重視されなければならないと思っている。
Copyright © 1985, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.