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I.精神分裂病前駆期における殺人への強迫衝動(Zwangsantrieb zum Mord)
数多くの身体疾患と同じように,大多数の精神疾患もまた突発的に急性に発現するのではなくして,潜行性に発病するのが常である。精神病が明確になる前に余りはっきりしない姿を示すことが多い。これが前駆症(die Prodrome)である。このことは最も頻度の高い精神病,即ち精神分裂病に対して,とりわけ言えることである。この病気の前駆期(das Prodromalstadium)は人格の深い変化をもって現れるが,これは殆ど常に20歳以前,思春期の始まりであることがしばしばである。人間の行為及び適応能力に対する要求が高ければ高いほど,また他人との関係が親密になればなるだけ,この変化というものははっきりしたものとなる。このようなことから,患者の人格変化についてとりわけ明瞭かつ納得のゆく形でわれわれに叙述することができるのは洗練された環境に育った患者の身内である。患者当人は昔から性格的に偏っていて,子供の頃から教育困難で,怒りっぽく,強情で,敏感で,知的に遅れていることが往々にしてある。このような例では変化の始まり,発展の屈曲を時間的に確定することが困難である。しかしながら,患者の大半は元来は目立たない人たちで勤勉で,知的活動の旺盛な学生としての全ての要求を満たしており,活発な関心と熱意をもって,その天職に身を捧げ,軽卒からくる逸脱も示さなければ,俗物根性から控えめすぎるということもないし,友人たちとは親しく交わり,両親や同胞とはお互いの気遣いと愛情で結ばれている。
それまでは目立つところのなかった青年の感情生活と思考及び活動性における進行性の変化が全く徐々にではあるが歩みを開始する。患者はますます寡黙になり,内気になり,閉じこもりがちになり,身内の者や友人たちに対するその自然な関係がほころび,両親を信頼しなくなり,友人との交わりもできるだけ避けるようになる。彼を孤立から引き離そうとしても,彼の朋輩の集まりに無理に参加させても,彼は友人らの話には殆どのってこず,心を動かしもせず,押し黙ったまま関心を示さない様子をして座っているだけである。対人関係を結ぶ能力の漸減,共感のしだいしだいの減少によって,彼を見守る人々の中に憂慮と胸騒ぎが初めてわき起こってくる。ささいなことの数多くの積み重ねによって,眼前にいるのは別人であることに身内の者は気づかされる。それ以前には繊細で心の優しい青年がもはや重大な事柄に対しても関心を示すことがなくなり,彼の母親の重病に対しても全く心配する様子もなく,竹馬の友の訃報に接しても心を動かすこともない。要するに,患者はあたかも壁があるかのように,環界から遮断されてしまっている。あらゆる忠告や注意をし,教訓を垂れても,患者の人を寄せつけない,冷ややかな本性(Wesen)の前にこれらはことごとくむなしく跳ね返されてしまうだけである。彼は黙ったまま,あたかも神経が無いかのようにこれらをただ聞いているだけか,冷淡で心のこもらない返答をするだけであり,このようなことからも彼らの感情生活の完全な冷淡化がうかがわれる。
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