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筆者がフレッシュマン(これはCODにある英語,片カナ日本語のサラリーマンとは違う)時代に,有力な精神医学者がKretschmerのヒステリー論の基本であるVerstellungstendenz(仮装傾向)をVorstellungstendenzと読み違えて観念傾向としている。当時の精神科医を志すものなら誰でも読んだはずのO . Bumkeの教科書にもヒステリーはhysterische Einstellungとあり,それが知的な観念とは別の次元の情意的な心構えであることはほんの初心者である筆者でさえ気のつくことなのに,諸先輩が何故口を閉ざすのかと不審に感じた。しかし今にして思えぼこのようなことはよくあることで,司法医学の専門家が年金神経症が穿刺で治ると訳しているのは,Punktionが,Punkt(ピリオド)を打つこと,つまり年金支払打切りであるのに,医学でこの語をもっぽら穿刺にだけ使うので同じコトバで書いてしまったのである。穿刺は英語ではパンクチャーで,旧式の車のタイヤが尖った物を拾ったりして中のチューブの空気の抜けるのをパンクというのは判るが,パンク寸前などというと大分拡大された意味になる。片カナ日本語が原語の意味より拡がったり,歪められたりして使われることは数え立てれば際限もないが,精神医学関係ではモラトリアムがその一例で,このコトバが,今学生層などに絶大の人気のある二十代の評論家や,同年代の流行作家たちの思想の支柱になっていることは,その中の一人が「あくまでも最初から最後までモラトリアムで突っ切れ,そのための下部構造まできちっともった上で最後まで走り切れ」と述べていることからも明らかである。こうなると最初にこのコトバを精神発達過程の説明に比喩的に導入したEriksonもこのユニークな発想(又は思路の展開)には舌を巻くに違いない。パーマ屋とかステンキチンとか,語原的には奇妙でも,むしろこれが日本語形成の歴史の中ではありふれた現象で,時にハプニング的変容さえあるのは,仏典にあるランナーのチャンピオンのスケンダが日本語では章駄天になった経緯に端的に現われている。モラトリアムは,語原的には法令などで債権者の取り立てを一定期間停止させることで,債務者が恣意的に支払を停止すれぼ国語では「踏み倒す」ことになる。しかし条約,協定によらずに核実験など自発的に停止することをこのコトバで表わす用例を中間項に挿入すると,あまり無理がなくも思えるので新しい国語辞典には「モラトリアム人間」が載っている。立派に片カナ日本語として市民権を得たのである。
片カナ日本語のワンゲルは,ある独和辞典にWandervogelの訳語として載っている。もちろん渡り鳥がこの原語の第一の意味で,ドイツ語の動詞wandernは相当長距離の渡り歩きを意味している(英語のwanderも同じ)のは確かで独和レキシコンという辞典には放浪すると明記してある。Wanderschaftは旅だから精神医学用語でWandersuchtを徘徊癖としているのが気になって仕方がない。「雪は鵞毛に似て飛んで散乱し人は鶴氅を被りて立ちて徘徊す」という古詩にあるように徘徊は歩行範囲が極めて狭いはずで,精神科医が徘徊癖を使うのを皮肉るように精神病院の看護者が緊張病患者の廊下往復の常同運動を「徘徊」と記入するのは面白い。実はBleulerの教科書(第15版,526頁)にWandersuchtの患者があてどもない旅に交通機関を正しく利用し,しかも他の乗客と談笑することさえあると書いてあり,同義語としてPoriomanieがある。そしてCampbellの精神医学辞典にもporiomaniaは,旅行(journey)に対する抵抗不能の衝動とある。この際旅行に伴う行動のすべてを想起不能のこともあり,この状態で犯行を伴なうおそれもあるという。これなら精神衛生法の措置入院の対象となるのももっともだが,ただの徘徊では納得しかねる。
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