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I.はじめに—予防精神衛生は可能か
今回の主題はおそらく,もっとも魅力のある主題であると同時に,もっとも魅力に乏しい主題ではなかろうか。
魅力の理由は,もし予防が可能であれば,われわれの仕事は大幅に楽になる。この可能性に思いを致せば,きわめて魅力的な主題である。しかしその現実性を考えるとき,非常に困難で,多くの人は嫌って避ける。予防と聞くだけで,そんなことができるのか,と尻ごみする人が出てきがちである。
しかし,私が台湾で仕事をはじめた時,なぜか,この問題に非常に興味を抱いた時期があった。なぜなら,端的に言って,医者の数が少なく,精神科医をいくら訓練しても間に合わないことが見えている。とすれば,何か別の人の力を借り,別のシステムを利用し,別の方法を使って,協同で予防ができるかどうか。その可能性をさぐることに思い至ったのであろう。とにかく少数の人的資源を有効に使って予防ができたら,と考えた。一方台湾は,当時としては総体として,比較的,公衆衛生の発達していた国であった。熱帯の地に日本入を移住させて全島の開発をはかった日本の植民地政府にとって,公衆衛生と交通は二大重要施策であった。その結果,公衆衛生のシステムは全島に広がっていた。このネットワークを何とか利用しようと思った。しかし,どのようにして—それは非常に難しいことで,参考になる本も,モデルもないのが実状であった。
もう1つ,にわかに予防が可能でなくとも,予防という概念を念頭に置いて,医師,看護婦,保健婦を訓練すると,狭義の医療あるいは慢性患者の収容を中心とした制度でなく,やがては,ある程度まで予防,少なくとも急性患者の初期治療,を中心とした医療制度が育ってゆくのではないか。そう考えると,予防という概念はすぐにもわれわれの教育および訓練に必要ではなかろうか。公衆衛生においては,第一次予防,第二次予防,第三次予防というが,第一次予防はかなわずとも,第二次,第三次の予防が可能なシステムに精神科医療制度をもってゆこう,―そう私は考えた。それは1950年のはじめであったが,あたかも,そのころハーグレーヴス博士が来島された。WHOの第1代精神衛生課長をつとめた,すぐれた方であるが,今も記憶しているけれども,4月6日に私と食事を共にした際,「林先生,あなたのところへアメリカとイギリスから留学生を送りたい」といわれた。私は「いや先生,酒の上の冗談はよして下さい」と答えたところ「いや,そうではないのだ。とにかく,予防,疫学,地域社会精神衛生という発想のもとに,はじめから精神衛生という計画を立てて,人を訓練しているところは世界でも他にあまりない。われわれは今まで留学生をいわゆる未開発国から先進国に送ってきたが,20年,25年後には,潮流は変るだろう。いや,変えなくちゃならない。むしろ,未開発国に習うべきものがある」と言われた。私は狐につままれたような気持になり,半信半疑で話を聞いていたが彼は,翌日もまた帰国の際にも同じことを言うのる。予防だけで1つのシステムをつくるのでなく,全体で1つのシステムであり,予防はその一分野である。幹のまん中から左へ行っている大枝は地域社会精神衛生であるが,実践の中で,次第次第に予防という枝がそこから出て来た。そして,公共精神衛生と学校精神衛生の2方向に動き,さらに進んで地域社会の予防精神衛生となった。このように有機的に発展した中の一分野であるとご記憶ねがいたい。
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