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精神病の研究が,今なお大方の医師にとっては行なうべからざるもののままであるのも,ひとえに観察のむずかしさ,観察に要する特殊な資質,といったことがらが問題のためであるに違いない。しかし,病気の性質自体とは関わりのない種種の妨げについても考慮すべきであろう。精神病という共通の名目のもとに,およそ似ても似つかぬ様々な病理形態が,それぞれ混同されることはないにせよ,ひとつの偽りの単位のなかに寄せ集められているのである。法律上の規定,施行上のきまりは,妄想の多様性などにはおかまいなしに一様にすべての気狂いに適用されている。こうして,優れた人たちまでもが,社会的関係の観点からはたしかに申し分のないひとつの分類様式を,科学の分野にまで持ち込もうとしているのである。狂気は全体として考察されるべきでありすべての精神病者に適用し得る一般原則をうち出すべきでありどのような類の病者にもあてはまるような症状をあばき出すべきである,などという具合には考えない,狂気についての造詣の深い人は,ほとんどいない。そんな高飛車な見かたからすれば病理学にも無視できぬ長所が備っていることになろうが,科学の分野に哲学的な精神が君臨すると,その精神の影響を受けて書かれた概論は,長年の手ほどきを受けてこなかった人々にはたちまち近寄り難いものとなってしまう。諸々の事実は,それについて語られるより先に,判断され吟味されて系統的に区分けされてしまう。直接に観察できるかたちでは提示されないのである。学びとろうとする人に,まず観察を行なわせるより先に,深遠な理論のほうをおしつけるのである。そのような論著は,まさにあの病理総論の書物にも譬えられよう。そこでは循環器の病気やら呼吸機能やらが一緒くたにごたごたと取り上げられ,それらがひとつの共通した記述でしめくくられて,ひとつの予後,ひとつの治療を,それらに適用しようという試みがなされている。
昔から精神病に関しては用いられてきたし,また,幾度となく医学への導入の試みのなされてきたこうした方法は,それに対して十分の注意をしたつもりになっているその時ですら,その支配を受けかねぬほどに執拗なものをもっている。最も狭められた枠に限られているはずの専門研究論文ですら,その影響を免れてはいない。あるひとつの明確な類型を考察するかわりにありとあらゆる狂気の変種のうちからたまたま取り出したひとつのあるいは幾つかの症状ごときに人々は没頭していて,ある研究者は自殺傾向を,他の研究者は盗癖を選ぶという具合で,記憶の錯誤であるとか意志や感覚性の偏りであるとかの研究に閉じこもろうとしたり,幻覚の検査のようなものばかりに没頭しかねない有様である。選ばれる主題はなんであれ用いられる丁続きは同じで,病気の理論を症状へと置き換えるに過ぎない。病理的類型についての科学が手つかずのときに症状論を推し進めてみたところでどうなるのか,皆目見当もつかないのではなかろうか。長所もあるが不完全なこの方法から逃れ,研究にとって最も好ましい最も正確な分類を専門家たちがうちたてようとしたときに,かれらの与えた定義は一層包括的になり,またそれだけ成功を収めてきたのである。妄想を,悟性の全体を関わり合いにするような全体的な妄想と,知性のある側面だけは多少とも無疵のまま残すような部分的妄想とに分けることは,非のうちどころのない驚くほど正確な区別である。ところが,それが細部にわたりはじめて科を属に属を種に,という具合に細分されるようになるにつれて,そうした区分の試みは不満足なものとなってしまった。
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