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巻頭言というものがどういう意味のものかはっきりしないが,いままでのこの「巻頭言」には卓見があり要望があり,なにかアイデアのようなものもあったり,自嘲ともとれることばもあり,わたしには本誌のなかでもっとも生き生きとした欄である。しかしわたしには読者にこれまでのような教訓的,要望的,提言的な一文を草する資格は毛頭ないように思える。それでも編集室からの求めに応じたのは,まちなかで正に蚯蚓のように這いまわっている一介の精神科医としてのわたしの日常性を自ら考えてみたいからで,おえらがたにはなんの意味のないはなしとなると思う。
最近わたしの住む神戸の地方新聞からその小さいコラムに毎週1回,5回分(すなわち約1ヵ月間)連続して800字位のものを書くことを依頼され,ある回に「人間であるために」と自ら題をつけ自分の考えと生活を次のように書いた。「このコラムにも識者のおおくが人間に対する産業公害や自然の破壊,さらに自然の子である人類の絶滅のおそれなどを鋭く指摘している。それらは単に警告とか奇を衒う意見ではけっしてない。わたしたちの日常生活を根底から震憾さす問題として迫っているのを感じさせる。人間であるために,人間はどうあるのか,どうあったらいいのか,どうなってゆくのか。わたしは日曜を除くだいたい毎朝勤務先の病院に出かける。9時半頃から午後5時すぎまで患者さんとのかかわりあいの一日である。体力もないし社交性もないのでレジャーというものはない。診療のあいだに,電話で病状の相談(最近この傾向はふえている),薬の説明やら要求,いろいろの苦情の相談,入院患者家族,家に病人をかかえているかたとの面接,さらに地方検察庁,各区の警察署,交番,保健所,社会福祉関係,企業体,ボランティアの人たち,まだまだ数えあげることができようが,そういう人たちとの面接やら電話やらへの応答,午後からは日と時間を予約したひとたちとの精神療法,さらに入院している患者の主治医,病院管理医の仕事などが病院でのわたしの毎日の日常生活である……」。
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