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特集 対人恐怖
対人恐怖症について—「うぬぼれ」の精神病理
On Anthropophobia: the Psychopathology of "Unubore"
三好 郁男
1
Ikuo Miyoshi
1
1神戸大学医学部精神医学教室
1Dept. of Psychiatry, Kobe Univ. School of Med.
pp.389-394
発行日 1970年5月15日
Published Date 1970/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405201612
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Ⅰ.序論
1.方法論的側面
わたしの研究はすべて個々の症例の精神療法的経験に則している。したがってそのデータは典型的ないわゆる質的データである。さて見田1)によると質的データにもっとも適する研究目標は,当の対象の構造連関の解明,因果連関の追求などであり,それらからある仮説を引き出すことである。ところでこの小論のテーマの対人恐怖症はその概念がはなはだあいまい,かつ広汎である。なるほどAnthropophobiaという語はあるが,これは欧米では死語に近く,たとえば動物恐怖症に対応するような意味での対人恐怖症があるのではなく,わが国でいう対人恐怖症は,厳密な意味で恐怖症Phobiaといいうるかどうか疑わしい。またそれは近藤(喬)2)がその論文で指摘するように対人恐怖症候群とでもいうべきであり,赤面恐怖,視線(正視)恐怖,表情恐怖,吃言恐怖その他の多くの症状を総括している。したがっておそらく数量的データにしても,対象そのものが同質でないのだから信頼度は低いであろうし,質的データとなればなおさらである。わたしの経験では,以上のように「対人恐怖症」として総括されているもののうちの各類型は,かなり異なっており,以下に一応の仮説を呈示はするが,各類型をそれだけで理解するのは不十分であり,各類型についてそれぞれより具体的な仮説の追求が必要であると思われる。そして対人恐怖症の各類型が,とにかく「対人恐怖症」として一括されるのは,病態のいわば最終結果である「他人を避ける」という現象によってなのであるから,「対人恐怖症」に関する仮説は,その中に含まれる各類型の仮説によって逆に肉づけれ再検討されねばならないであろう。
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