第2回精神医学懇話会
Paranoiafrageについての討論
荻野 恒一
1
1南山大学
pp.1041-1043
発行日 1965年12月15日
Published Date 1965/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405200934
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パラノイア問題というきわめて広範かつ困難な主題をとりあげて,千谷教授は,正統的な立場から,すなわち半世紀以上にわたつてドイツ精神医学界において論ぜられてきたこの主題の歴史に沿つて,しかも同教授独自の精神医学的立場を表明しながら報告された。私はまずこの報告によつて多くのことを教えられ,また考える機会を与えられたことについて,同教授に謝意を表したい。そしていま,この報告のなかで述べられている事柄のうち,必ずしも千谷教授がもつとも力説されたことではないかもしれないが,少なくとも私個人にとつて重要と思われる二,三の事柄を整理したい。
まず千谷教授は,パラノイア問題をとりあげるにさいして,初めにドイツ語Wahnの語義的沿革をたどり,この言葉が初めはHoffnung,Erwartungといつた主観的な,多少とも願望的な思念Meinungを意味しており,邪推,狂気といつた非難的な意味はなく,現在のいわゆる真性妄想の概念,すなわち了解をこえた,正気を欠いたグロテスクな観念といつた妄想の概念は,ずつとのちに近世ドイツ語としてWahnsinnという合成語が成立して以後にできてきたことを詳細に述べておられる。
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