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1957年のチューリッヒの第2回国際精神病学会の席上しばしば現代の精神病理学的研究のいわゆる「精神錯乱」(L. lavero)が訴えられた。精神病学の根本問題について対立している精神論者と身体論者の見解の綜合されることが多くの学者により期待され,そのためとくに1つのシンポジウムが開かれたが,両者はこれまで同様他の立場を理解せず平行して存在する点は少しも改められなかつた。現代の状況がとくに混乱しているというのは,ただ意見が分かれているからだけではない。両者の対立は心身問題により生まれたものでまた一面その結果でもあるが,精神病学の歴史と同様に古い。19世紀には唯物論的傾向と形而上学的—浪慢的傾向とが対立していたが,なお互いに他を取り入れ折衷しようとする点が認められた。Bumkeは1920年代にはこの傾向がまだ残つていることを指摘した。以前の対立では,一方の立場が優勢で,その時代の研究の方向と支配的見解とを決定し,つぎの時代にはその反動として他の立場にとってかわられた。こんにちの対立の特異性はそれぞれの学問上の動向が力の優劣なく同時ばに存在する点にある。対立する立場が互いに優劣をくりかえして発展してゆくことは,精神病学の発達の歴史が示すところである。精神病学の創設期には,身体論が精神論に対して絶対的な優位を占めていた。ギリシャ・ローマ時代の精神病学の特徴は,精神疾患も原則的には身体の疾患と考えられ治療された点にある(Ackerknechtの「精神病学史概説」中にその翻訳がある)。Griesingerの言葉といわれる「精神病は脳病なり」という命題がギリシャ・ローマ時代に身体論者の指導理念になりえなかつた理由は,当時の脳の構造と機能に関する知識が非常に貧弱であつたことによる。Hippokrates以来の歴史をもつ身体論に対して初めてアニミズムをとなえた人々の中にG. E. Stahlがある。彼によると生体内の物理的・化学的過程は精神により支配される。したがつて病気は精神と外部からの有害な影響との戦いである。18世紀の後半にはドイツの研究者の多くが理想主義哲学にくみし彼の説に従つた。しかしその思想をついだ人々が浪漫精神病学に特有の自然哲学的思弁にふけりすぎたために豊富な内容をもっStahlの思想も十分な成果をおさめることができなかった。精神病を心の醜さや過失の結果と考えることは多くの弊害を生じたが,これがまた新しい型であらわれたのである。この見解は中世紀にはしばしば魔女追放者や悪魔調伏者にその理由を与えたものである。19世紀初期のドイツの浪漫精神病学に属する人々J. Heinroth(1733〜1843)やK. Ideler(1795〜1860)らは自制されない熱情・罪および罰は精神障害の原因となると考えた。この立場からみれば精神病者は自分の行為に対して責任があり,刑法上の責任の問題はKantの言のごとく,大学の医学部ではなく,哲学部に属すべき権限である。
精神病学の新しい動向は,背景をなすその時代の文化および精神の動きから理解される。たとえば前世紀の前半にドイツにおいてもつともさかんであつた浪漫的精神病学はSchellingとその自然哲学との影響がいちじるしく,また一面啓蒙思潮に対する反動と考えられる点もある。時代思潮との関連のある例を,なおあげればB. A. Morelの変質説がある。これはフランスに始まり19世紀の中ごろ広く行なわれたものでDarwinの進化論とその時代の哲学との影響をうけている。
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