巻頭言
若き精神科医の育成
福居 顯二
1
1京都府立医科大学大学院 精神機能病態学
pp.826-827
発行日 2006年8月15日
Published Date 2006/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405100783
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数年前から京都洛北,岩倉にある福祉施設に知人を時々訪ねますが,大雲寺跡にある不動の滝,霊泉で有名な閼伽井の周辺は岩倉保養所の往時を偲ばせています。昨年機会があり,日本森田療法学会を担当し,以前から一度自分で調べたいと思っていた岩倉保養所,京都癲狂院について「京都の精神医療史」と題して発表しました。といっても,すでに精神医療史に造詣の深い先達の記した論文を渉猟したに過ぎませんが,学内の図書館に所蔵されている,「精神病約説」(神戸文哉訳),「癲狂院諸規則」,「癲狂院治療條則」「療病院雑誌」と,京都府資料館にある「京都府,府史第二篇, 癲狂院一件」などは実際に目を通しました。
京都府が南禅寺方丈を借りて発足した癲狂院の特徴はいろいろありますが,特筆すべきは,①明治8(1875)年7月25日の開院式で,当時粟田口青蓮院に開設された療病院(京都府立医科大学の前身)に招かれていた外国人医師ヨンケルが祝辞の中で「病者ヲシテ庭園ニ逍遥シ花世遊観ニ情意ヲ慰メシム」と述べていること,②「癲狂院諸規則」15条の「患者ノ症緩ヤカナル者ハ養生ノ為ニ是迄手馴レタル職業ヲ為サシメルコトアルベシ」にあるように,患者さんにすでに今日の作業療法にあたるものを取り入れていたこと,③神戸文哉が主幹となり明治12(1879)年3月に発刊された「療病院雑誌」に,癲狂院における7年間の入退院記録(診断,予後,転帰や症例など)が詳細に記載されていることが挙げられます。いずれも精神障害を持つ患者さんに対して,英国式の優しいかつ人道的な処遇がなされていたことがよくわかります。しかし良質の医療は経済的に徐々に破綻を来し,わずか7年で廃院となりました。
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