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このたび,貴誌の企画に際して「オピニオン」を専門医制について書くようにとの依頼を受け,迷いながらもお引き受けした。日頃から精神神経科の先生方には診療上のみならず,学会運営においても色々とお世話になっているからお引き受けしたのであり,本来ならばこんなにややこしくて難しい話は神経学会の中だけで十分,外に向けての発言はできれば避けたい,というのが本音である。その最大の理由は,当面の相手である専門医認定制協議会が腰砕けの状態であり,もう一方の相手である厚生労働省が何とも不可解な状態にあるからである。このことはあとでもう一度触れることにする。
そもそも,精神神経学会と神経学会との関係は複雑である。神経学会は内科学教室で神経学を勉強していた若い人たちを中心として,それに精神神経学教室の中でもっぱら神経学を専門とする人たちの一部が合流し,さらに脳神経外科の応援を得て1960(昭和35)年に新しく作り上げた学会であった。新しいといっても,神経学そのものの歴史は古く,わが国でも1892(明治25)年にまで遡ることができる。パーキンソン病にしても,脊髄小脳変性症にしても,あるいは末梢神経炎や筋ジストロフィーにしても,精神神経科と内科が両方で診ていた時代が長かった。そんなわけで,いざ昭和40年頃に神経内科が独立した時には,特に精神神経科からの抵抗が強かったと聞いている。無理やり離婚させられたようなものであるから,生身を割かれる思いであったろう。今でもこうした抵抗感が多少はくすぶっていると理解している。けれども,その後40年ほどの間に,神経内科はもちろんのこと,精神神経科も内科全体も大いに発展した。今でも神経学を主な専門領域としておられる精神神経科の方々には必ずしもハッピーとは言えない状態かもしれないが,それぞれが一応の成長を遂げたことは確かであり,この離婚は成功であったと考える。ただ,神経内科から見た時に,今でも喉に引っかかった魚の小骨のような問題が一つだけ残っている。それは,診療科の標榜についてであり,医療法に付随した条文に神経科を神経内科と読み代えるという文言があることである。つまり,例えばあの病院に神経科(精神神経科ではありません)という標榜科があると,神経内科は標榜できないということである。
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