滞欧記
ドイツでの2カ月
芦沢 真六
1
1東京医科大学内科
pp.723-728
発行日 1966年10月25日
Published Date 1966/10/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1403112051
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出発まで
それでは,今回のドイツ行のいきさつからまず申します.1964年,内視鏡学会理事長田坂教授がブラッセルの国際消化器病学会に行かれ,エルランゲン大学のHenning教授と会われたとき,日本の内視鏡の話が出て,それでは日本からだれか来て実際に見せてくれというような話になり,一応私が行くことにきまったわけです.旅費とか滞在費の話が,なかなか具体化せず,来てくれというのにこちらでそれらの費用を出すこともないと思っているうちに,Henning教授の御骨折で,D. A. A. D(Deutscher Akademischer Austauschdienst)から旅費と2カ月分の滞在費を出すから来いという手紙が来たので今年の5月頃には行けそうだと返事をしておきました.ところが春の学会で,私が上部胃癌のパネルをやった日(昭和41年3月24日)に,ルフトハンザの東京支店から電話があり飛行機の切符が払い込まれているからいつでも行けますよという連絡があり,まだ先のことと考えていたことが急に具体化したという思いで急いで仕度をして,4月28日に出発しました.
そんな訳で初め話があってから実際に行くまでにだいぶ日がたつたものですから,その間に向こうの事情が変わってしまって招待してくれる主人公のHenning教授は定年で退職(その後大学の近くで開業)され,そのあとを同じ消化器を主としてやって居られるDemling教授がつぐことになり,4月1日にその交代が行なわれたばっかりでした.
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