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編集後記
五ノ井 哲朗
pp.1682
発行日 1973年12月25日
Published Date 1973/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1403108424
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ものの歴史がみなそうであったように,十二指腸潰瘍診断の歴史にも幾つかのふしのようなものがあり,現在もまた,まさにそのような時期のひとつであると思われる.
Moynihanがこの疾患の臨床的記述をした当時(1901),十二指腸潰瘍とは既往歴ことにその疼痛の性状によって診断される疾患であった.胃におけると同様,十二指腸においてもまたX線ニッシェが潰瘍の直接症状であることを,Haudeckがはじめて述べたのは1911年のことであったが,これが十二指腸潰瘍診断の不動の基準となるまでには,さらに20~30年の歳月を要している.Albrecht(1927~29)が十二指腸潰瘍のニッシェ証明率90%と報告し,わが国ではややおくれて山形(1934~40)がニッシェ証明率79.5%,手術による適中率100%と記述した.疼痛潰瘍からX線潰瘍への変転がひとつの完了をみた時期である.それからさらに30年を経過していま,再び十二指腸潰瘍のX線診断に新しい展開が起こっていると思われる.一方,1911年Elsnerによってはじめて実用性のある胃鏡が作製されてから60年,内視鏡による潰瘍の観察はもっぱら胃のそれに限られ,その間文字通り暗闇の中に措かれてきた十二指腸潰瘍が,ようやく視野に捉えられたということは,まさにひとつの画期であり,十二指腸潰瘍の臨床における新しい進展の可能性を孕んでいよう.
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