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20歳の医大生がいた.サッカー部の主将を務め,名ウィングとして大学リーグで活躍した.〈事件1〉試合中,危険なタックルを受け,左膝を負傷.バキンと音がした.開業医受診.軽い捻挫との診断.しかしボールを蹴るたびに膝が痛んだ.大学病院で精密検査を受けるもやはり原因不明.時代はスポーツ医学が開花する前であった.22歳の秋,大学病院に膝の専門医が戻ってきた.やっと診断がついた.左膝外側半月板損傷および外側側副靱帯・前十字靱帯損傷.陳旧性だが,手術で劇的に良くなるかも知れない,と.心が踊った.そして迷った.〈事件2〉手術を受けることを決意.それはもう一度左足で思いきりボールを蹴りたいという純な思いからであった.内視鏡下の手術を希望したが,結局,関節部切開による手術となった.半月板は縦に裂けており,全別出術となった.陳旧性の靱帯損傷には手を付けず,筋力アップを図るリハビリとなった.術中,大腿部以下の阻血のためとにかく下肢がだるかったが,カムバックを夢みつつ耐えた.整形外科医になりたいとも思った.かすかな胸さわぎを感じながら.手術の終わった夜はなぜか胸が苦しく,ナースコールを何度も押した.オーバーかも知れないがこのまま死んでしまうのかとさえ思った.〈事件3〉手術後ギプスがきつく,何度も訴えた.辛抱が足りないとも言われた.4日目に減圧のためギプスカットが加えられた.楽になったが辛抱が足りなかったかとも反省した.6週間後念願の退院.本格的リハビリ開始.しかし,途端に左下肢が腫れた.象の足のように.〈事件4〉ウロキナーゼとの出会い—病院へ駆けつけた.整形外科から血管外科へ回された.そして,毎日ウロキナーゼ6万単位の左足背からの点滴,1週間.涙をこらえながら天井を見た.彼には何がどうなっているのかさっぱりわからなかった.整形外科主治医の回答も何か曖昧であった.結論—左外側半月板別出術後大腿深部静脈血栓症.発症は,術直後左大腿部が腫れたこと,胸痛が軽い肺塞栓と考えるとやはり術直後であり,約6週間の経過で初めて症状が顕性化したと思われる.
さて,この時期の使用でウロキナーゼは効いたのだろうか?多分,効いたのだろう.なぜなら,その後青年はサッカーへのカムバックには結局失敗したし,後遺症のため整形外科医にもなれなかったが,多くのことを経験し,学び,人生には負けず,名医とは何か?いつも迷い続けながら内科医として頑張っているから.そして,彼が心筋梗塞患者,血栓症患者に用いたウロキナーゼの総量は1万単位を超えているだろうから.
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