オスラー博士の生涯・91
定年の時期The Fixed Period(2)—ジョンス・ホプキンス大学のアメリカ医学への寄与
日野原 重明
1
,
仁木 久恵
1
Shigeaki HINOHARA
1
,
Hisae NIKI
1
1聖路加看護大学
pp.302-307
発行日 1981年2月10日
Published Date 1981/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402217052
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ウィリアム・オスラー博士は,ジョンス・ホプキンス大学医学部の創立の立て役者として病理のウェルチ教授その他と大活躍をしたが,16年の内科教授,ジョンス・ホプキンス病院の診療部長の職を辞して英国のオックスフォードに隠退するという宣言をした.そして1905年2月22日に告別講演を行った.
その前半は本誌の前号に紹介したが,彼は,60歳代の教官は大学にプラスするより弊害を与えるほうが多いという大胆な発言を,医学部の同僚の前で公然と行ったことは,講演後,大学内部だけでなく,アメリカ医学界全体に大きなセンセーションを投げかけた.
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