保健婦活動—こころに残るこの1例
予期せぬAさんの思い
永山 さなえ
1
1那覇市中央保健所
pp.214
発行日 1992年3月15日
Published Date 1992/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401900547
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昭和57年,私は保健婦になって4年目に,人口12,000人の歴史の古いS町を担当することになった.そこは歴代の保健婦が精神保健活動に力を入れており,家族や関係者の交流の場として,デイケアの基盤ができつつあった.それまで離島勤務で精神障害者との関わりの少なかった私にとって,デイケアへの関わりは初めての挑戦であり,デイケアの中でケースと共に私が大きく成長したように思う.そんな中で,Aさんが恋愛感情を抱いているのに気づかず,事が起きて初めて慌ててしまい,そういう危険性のあることを身をもって学んだ.そのAさんとの出会いは…
S町に赴任当日,5人の精神障害者の引き継ぎ訪問の中にAさんはいた.中学校の美術の教師をしていて発病したAさんは47歳.4人兄弟の2番目で,そのうちの3人が精神障害者である.弟と二人,生活保護を受けて暮らしていたため,前任保健婦は訪問計画を重点的に立てていた.しかし,関わりを持って7カ月ほどで「自分は病気ではない」と内服を中断し,弟に暴力を振るって警察の手を借り入院となった.その後私は1年間育児休業をとり,昭和59年職場復帰をした.そして初めてのデイケアに,Aさんも近所の民生委員に誘われ初めて参加していた.
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