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ロンドンでの学び 熱帯医学から貧困の医学へ
ロンドンスクールでの学びは、主に英国の公衆衛生に関するもので、直接途上国での活動には役立ちそうな内容ではなかった。ただし、前から熱帯医学や途上国の医療に関する学びは始めていて、その中でも特に1960〜70年代、ネパールで働いていた岩村昇先生の体験談には豊富な内容があった。先生はいわゆる熱帯医学の教科書でなく、モーリス・キングの“Medical Care in Developing Countries”(1966)1)を紹介された。これは従来の熱帯医学を、「貧困の医学」という概念に変えた画期的な入門書であった。先生は、この本をリュックサックに入れてネパールの村々を訪ねるときに熟読して目が開かれたという。もう1冊は、WHOによる“Health by the People”2)で、こちらも熱帯地域の医療保健について、途上国におけるコミュニティー・ヘルスという視点が強調して書かれており、2冊ともその後のプライマリ・ヘルスケアという画期的な概念を生み出す伏線になっていた。先駆的なこの“Health by the People”については、それが書かれた経緯について岩村先生からお聞きしていた。
というのも当時、岩村先生はジュネーブで開かれる世界教会協議会の医療委員会であるCMC(Christian Medical Commission)出席の道中にロンドンのわが家を数回訪ねてくださり、そのときに多くのことをお話しされた。CMCは、1960年代後半には、病院や診療所で患者を治療するだけでは地域の人々の病気予防や健康向上に不十分であると考え、コミュニティー・ヘルスの意識が高まっていた。CMCの会議では、そうした視点から世界中のへき地にあるミッション病院の保健医療の在り方について協議されていた。例えば、アフリカで外国人外科医が手術をして一人の患者を助けた。しかし、その後患者の家を訪ねてみると、その家族はどん底の貧困生活をしていた。手術をしてもらうために、持っていた家畜の牛を手放すしかなく生活基盤を失ってしまったからだ。手術が成功して病気を治しても、その患者や家族のためになっていなかったとその医師は反省し、地域医療を進めるようになった。CMCはこうした経験を集積し、同じジュネーブにあるWHOのスタッフと共有する中で、“Health by the People”の出版がなされたという。一種のウラ話ともいえるが、後にジョンズ・ホプキンス大学のカール・テーラーも同様の証言をしている3)。
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