発言あり
「公衆衛生50歳」
稲田 紘
1
,
印南 敏
2
,
崎原 盛造
3
,
中村 雅人
4
,
安武 章
5
1筑波大学社会医学系地域医療学
2東京農業大学総合研究所
3琉球大学医学部保健社会学
4中村法律事務所
5国立水俣病研究センター
pp.7-9
発行日 1986年1月15日
Published Date 1986/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401207171
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個の問題解決に有効な方法の開発を
保健医療をめぐる過去50年間の出来事をふり返ってみた.太平洋戦争を境にして大きな変化があり,世界の政治経済の動静とその中で生起する諸事象が,人々の生と死に密接に関連していることを改めて知らされる.
昭和10年代--あらゆる国策が戦争準備へ向けて展開される.皇太子誕生を記念して設立された母子愛育会は乳幼児死亡率の改善を目標に母子保健活動を開始し,また保健所が作られ,国立公衆衛生院の設立や厚生省の設置もこの時期に集中している.昭和15年には強兵確保を目指して国民体力法や国民優生法も制定された.これらの制度のもとで乳幼児検診が実施され,優秀な国民を育成するというタテマエが前面に出され,戦争遂行の手段というホンネは水面下に隠されていた.また,労働者の生活保障を目的として続々と制定された保険法で集められた保険料は,やはり戦費として活用された.
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